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 ビジネスビザへの道

3ヶ月経ち花子の語学学校もそろそろ終了という頃から、太郎はビジネスビザの取得を真剣に考え始めていました。ということで、語学学校終了後、花子もとりあえず、実績によってはビジネスビザのサポートの可能性もあるという会社に絞って職を探し、ツアー会社のオフィスで働きだしました。

ビジネスビザとは、雇用主から能力を認めてもらい会社にサポートしてもらうビザの事。そして、その人物のオーストラリア在留が雇用主にとって必要だと移民局に認可されてはじめてビザがおります。通常2〜4年のビザで、その期間、その雇用主の元で働く為に在豪を許されるビザです。もちろん延長もOK。

ただ、このビザに関しては良い噂は聞いた事がありませんでした。人呼んで「奴隷ビザ」とも言います。大抵はビザを取ってやったんだからしっかりと働いてもらいますよって感じになります。「本当に残りたいならば、耐えることができるだろう。嫌なら途中でも辞めよう」と思っていました。

太郎は、まず、当時働いていた会社にビジネスビザ取得の件を考えて欲しいと伝えましたが、その会社では、そういったビザのサポート自体をしていないとの事でした。

そうなれば、その会社にいる理由がない、という事ですぐに退社し、ビジネスビザのスポンサーになってくれそうな会社をあたりました。


実を言うと、最初の考えでは、お土産屋やガイド業はしたくありませんでした。理由としては、お土産屋は、日本でも出来ますし、どうも働いている人達を見ていると好きにはなれませんでした(もちろん、なかにはきちんとした方もたくさんいらっしゃいますが、お店によっては、サービス業らしからぬ身なりや対応の人が目立っていたからです)。

ガイド業はというと、これまた良い噂を聞きません。例えば、
 ・ 最初は安月給で覚える事が多い(研修期間約1カ月は無給など)。
 ・ 朝が早い(空港に送る仕事など早ければ朝の2、3時起きは当たり前)。



■ビジネスビザ取得へ向けて■

そんなこんなで、いろいろ探していたんですが、なかなかいい仕事も見つからず時間が過ぎていきました。そんな時、花子が働くツアー会社で人材を募集していると知り、良ければビジネスビザを考えますよとの事でした。

いろいろ考えましたが、とにかくやってみようと、初めてのガイド業に携わっていったのでした。オーストラリア到着から約5ヶ月後でした。

その会社はというと、日本より日本じみた縦社会で、ガイド太郎)には合いませんでした。たとえば、外でのガイド業務の後、事務所に行くとまずはお茶くみとゴミ捨てから始まる。しかも年下の同じワーキングホリデーのツアーガイドの先輩たちにまで、とにかくその時事務所にいる全員に「コーヒー入れましょうか?」と声をかけなければいけない。すでにコーヒーが入っていようがいまいが関係なくです。

さらに、飲みの席では上司がイッキしろと言えばしないといけない。時には、ビールなどにからしや、わさび、味噌汁を混ぜたりしてのイッキでした(もちろんお遊びの1つなんですが)。ウィスキーのソーダ割を5杯並べられ、ビザが欲しいならこれ全部イッキしろと言われたこともありました。もちろん花子も同じ会社にいるわけですから、それが最大の苦痛でした。


そこの上司はよく 『ビジネスビザが欲しいのならアピールしろ!』 と言いました。たとえば、人が嫌がるようなことを進んでしたり、人よりも大きな声で挨拶したり、早く出勤してオフィスを掃除したり。

確かにその通りだと思います。他の人より必要な人材だと認めてもらう為には必要な事だと思います。


どうも太郎には出来ませんでした。この会社でやっていける自信が無かったんです。


■人間不信■

このころは、ガイド太郎の人生の中で一番沈んだ時期のように思います。上司の理不尽さに人間不信になりかけ、花子にもあたってしまっていました。が、それでも何とかビジネスさえ取れればと思い頑張っていました。

そして、ワーキングホリデー残すところあと1ヶ月弱となった時、上司から呼ばれやっぱり二人のビジネスビザのスポンサーにはならないと告げられました。理由は、太郎の態度のせいだったと思います。

太郎はその頃、この会社でやっていけるんだろうか?そこまでして残ったほうがいいのか?悩みも頂点でした。本当に残りたいのか?と言う上司の問いにも二つ返事で「はい。」とは言えなかったんです。

一番の原因は、人の人生の事、さらには一生の内で一度しか取れないワーキングホリデービザ(現在は、条件によっては2度目も取れます。)の事など、そこの上司の考え方の中には、それ程、重要度を締めていないように感じたんです。


という事で、私達のワーキングホリデーは、そんなこんなで終了間際。一年充実しましたと言うと完全に嘘になります。不完全のまま終了を迎えるのです。「はじめから、ビジネスビザなど考えず、人生の中でなかなか無いこの機会をもっと自分なりに有意義に過ごせばよかったかな?」とも思いました。 振り返ってみればラウンドにも出ず、ずっと1都市に残り来る日も来る日も働いて過ごしたワーホリでした。

それでも、残されたたった1カ月弱のホリデーを、何とか埋め合わせようと2人で相談し、ろくに行っていなかった近場に小旅行にでかけました。そしてさらに、残されたわずかな期間を利用してバスでオーストラリアを回ろうかと計画を立てました。


■最後の賭け■

ただ、「このままでいいんだろうか?」と言う思いは消えませんでした。それはそうです、間違っていたとしても一度は残ろうと頑張り、嫌な思いもしてきたわけですから。


「何か心残りがある。」「このままではやっぱり後悔する。」その思いから、ガイド太郎は、「もう一度、ビジネスビザをサポートしてくれる会社を探してみよう。」と決めました。 1社、心当たりが有ったんです。そのころ、ツアーガイド暦も6ヶ月を越え、その会社からのガイドの仕事も何度か任されていたのです。

ただそうなると、面接のアポイントをとり、面接後も回答をもらえるまでしばらくかかる。 と言う事は、残りのホリデーに当てる日にちがさらに少なくなってしまうので、ラウンドは諦めざるを得なくなる。。。。


でも、それよりも後悔したくない。

そう思い、面接を受ける事にきめました。 そうして、そこでビジネスビザをサポートしてもらえることとなりました。

花子も旅行業経験者と言う事で、同じ会社で働く事になり、いま所属する会社にサポートしてもらい4年間ビジネスビザで働きました。(もちろん奴隷ビザの要素は拭えませんでしたが、それほど理不尽な扱いは受けませんでした。)


- 著者 ガイド太郎 -




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