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 日本を出た訳

これは、普段から仕事中にも良く聞かれる質問ですが、大きな理由としては、2人で以前から漠然とワーキングホリデービザというものに興味を持っていました。留学花子は英語と異文化に興味があり、ガイド太郎はサーフィンをします。

ちょうど25歳を迎える節目でした。高校を卒業して以来仕事メインの生活で、ただ与えられた仕事をこなし、ただただなんとなく過ごしている毎日に疑問を感じていました。このままでいいのかなって・・・。
多分誰にでも一度や二度はそういった時期が有ると思います。

最初はガイド太郎の提案でバリにでも半年程滞在するか、はたまた種子島にでも住もうかと2人で話していました。今思えば、とにかく何か新しい事をしたかったんだと思います。でもそれで戻ってきた時、何かプラスになっているんだろうか?どうせ行くのなら英語圏で多少なりとも語学を身に付けて帰ってきた方が、より意味のあるものになるのでは?っと思ったのです。

というのも、当時国際ホテルに勤めていた為、外国のお客様への接客を余儀なくされる日々でしたが、英語は全く駄目だった私たちは、ビクビクしながら決まり文句でなんとか取り繕う毎日でした。だから、英語を不自由なく話せたらなぁーという憧れを漠然と常日頃から持っていたためだと思います。

もちろん、新しい環境に身をおいて生活する事だけでも私達2人にとっては十分意味のあるものにはなるだろうと思ったのですが、半年なり一年なり経って戻った時の再就職の際にも、英語圏での長期滞在の方がより有利になるだろうと考えたのです。

ということで、私達の現実逃避の場所は、英語圏でサーフィンのメッカ、ワーキングホリデーという働きながらホリデーを満喫できるビザも取得可能なオーストラリアに決定したのでした。

しばしの現実逃避のつもりだったので、一年後には帰国して、社会復帰することが前提の決断でした。


簡単に決断したように思われてしまいますが、2人とも極度の心配性。しかも、共に海外は素人同然で、ホテルに勤めていたものの英語もままならない2人でした。 それに実は、貯金も全く無くて、おまけにカードローンにおわれる日々でした。

しばらくは決断も出来ず、月日が流れていきました。でも、『お金が貯まって本気で行く気になったら、出発を決めよう!』なんて言ってたら、一生かかっても当時の私たちには無理だと思ったので、先にワーキングホリデービザをとにかく取ってしまおうということになりました。ビザを取ったのは当時のワーホリ年齢制限ぎりぎりの25歳のときでした。

ワーキングホリデービザはビザ発効日から1年以内に出発しなければ無効になるので、がんばって1年以内に旅費を貯めるほかありませんでした。優柔不断の傾向がある為、追い込まれないとなかなか重い腰が動かない私たちにとっては、この制度が私達の背中を押してくれたように思います。

とにかく、まずは花子が勤めていたホテルを退職し、旅費を貯める為に割りのいい仕事に就くことにしました。というのも、花子の方が抱えていたカードローンが太郎よりも多かったからです。その後1999年太郎も、他部署への異動が決まり、それを期に7年勤めたホテルを退社することになりました。


毎日必死で働いて、全てのローンも返済し、なんとか旅費も貯まり、出発の時を迎えました。 はっきり言って出発前は本当にクタクタになっていました。 でもこれから1年間、ホリデー気分でオーストラリアをゆっくりのんびり満喫できると思うと疲れも吹っ飛ぶ気分でした。


- 著者 ガイド太郎 & 留学花子 -




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