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オーストラリアの第一印象
1999年7月31日関空発のJAL777便(現在は運行中止となっています)で、目的地のブリスベン国際線空港に到着しました。海外初めての私は、期待よりも不安が9割を占め荷物を取り、日本から頼んでおいた送迎バスに乗り観光をして、いよいよホテルに到着しました。
その頃は、海外初心者にもかかわらずオーストラリアの事をほとんど調べていなかったように思います。どういう場所なのか勝手に想像し、「サーフィンをして適当に小さなお土産屋で働き、英語がしゃべれるようになって帰るんだろう。」と漠然とした考えでした。
そういう考えでしたので、見るもの全てに感動した事を覚えています。たとえば日本ではほとんど見かけない白人が車を運転しているだけでも不思議に思ったものです。
もちろん多少なりともガイドブックを観ていたのであくまでイメージの話ですが、私のゴールドコーストの当初のイメージは、非常に田舎で高層ビルなど無く、働くであろうお土産屋さんがビーチ沿いの舗装されていない道路に建っているというような何かの映画で観たようなイメージが勝手に妄想を造っていました。
多分海外のビーチリゾートとは、私の中でこのようなものだと造られていたんだと思います。
ガイドブックの通り、サーファーズパラダイス到着時は、高層ビルが立ち並びもちろん道も舗装されていて、観光客の人たちがたくさんいてきれいな海を見、慣れない長い飛行機の旅で寝不足で頭がボーっとした思考回路でしたがやっぱり日本とは違い海外にやってきたと実感しました。
ホテルで休憩し、眠気も落ち着き、いよいよ町を散策して思った事は、なんとなく懐かしい感じがしたという事でした。これは別に変な意味ではなく、海外初めての私ですので建物の様子や人々の様子ではなく、町全体の様子が漠然とそんな気にさせたんだと思います。
まずは、車が非常に古い。80年代の車がたくさん走っていて、、携帯電話も非常に大きく、あまり使っている人もいなくて公衆電話を利用している人がたくさんいたり、自分の格好や服装をあまり気にせず街中を歩いていたり、ごみごみしていないような様子がなんとなく日本の大体10年遅れのイメージだったんです。
車なども走れば何でも良いというような感じで、改造している車を見かけることはほとんど有りませんでした。
格好付けるわけじゃないですが、日本は恵まれすぎているように感じました。もちろん世界中にたくさんの国が有り、先進国も発展途上の国もさまざま有りますが、便利過ぎるのも考えもののような気がします。
- 著者 ガイド太郎 -
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