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ゼロからのスタート
もうだめかな?帰ろうか?とも思いましたが、散々悩んだ挙句、選んだ道は、「あと6年もこんな不安な思いをしながらずっと奴隷ビザで働くくらいなら、会社からのサポートは諦めてダメモトでも、自分たちで勉強して技術独立永住権の取得に挑戦してみよう!」でした。
さて、2人とも英語に自信のない私達、でも、いったいどちらが大学へ行くの?と悩みました。だって、大金(語学学校代を含めて約400万円)をはたいて大学へいくのです。あくまでも最終目的は永住権取得であるとはいえ、ただそれだけの為だなんてもったいない。せっかくならば、それが将来に役立つものになるようにしたいと思いました。
となると、やはり男であり一生家計を支えることになる太郎が、大学で専門知識を身につけたほうが、将来の為にはより有効です。でも、問題は学費でした。オーストラリアで5年間2人で働いて貯めた貯金を全て使っても、まだ足りない。。。それにもちろんその間の2人の生活費だって必要です。日本にもいくらか貯金はあるのですが、その貯金は日本に帰ることになった時の為にできるだけ手をつけないでとっておきたかったのです。
ということで、結局、花子が大学で勉強し、花子より稼ぎの多い太郎が働くということに決めました。ガイド業は結構いいお金がもらえます。日本にいた時に働いていたホテルなどと比べれば、2倍〜3倍といった収入がありました。ま、その分、太郎はビジネスビザの時は、週6日かなり忙しく働いていましたが、、、。
特に太郎は、ドライバーガイド(マイクロバスを運転しながらガイディングもする)なので、時給も高く、学生ビザになり就労時間の上限が週20時間となった場合、花子が稼ぐよりも断然高い収入が稼げるのです。
もう1つの大きな理由としては、新卒者用の技術独立永住権の為にはただオーストラリアで大学をでればいいというものではなくて、移民局が定めた特別な職業に関係する学科を専攻しなければならないのですが、そのうちのひとつに会計学があったということ。
当時経理の仕事に携わっていた花子の方が、多少なりとも興味があったのです。もしも、この職業リストの中にオーストラリアの自然、歴史、文化などにまつわる職業があったなら、たとえ金銭的に厳しかったとしても太郎が大学へ行っていたかもしれません。
私自身も、もし経理の仕事をしていなかったなら、大学留学なんてきっと決心していなかっただろうと思います。そう考えると、今となっては、それまでの5年間も無駄ではなかったのかも?という気がしてきます。実際、この5年間がなければ、まず、私達には大学へ行くお金の余裕もなかったわけですし、これまでかなり遠回りはしてきたけれど、全ては繋がっているのかもしれないな、なんて思うのです。
- 著者 留学花子 -
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