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Old Melbourne Gaol
旧メルボルン監獄
評価(10段階)
移動容易度 ★★★★★★★★★
お勧め度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
必要時間 1時間〜2時間
「良い所」 街中にあり、空いた時間を利用できる。オーストラリアの歴史を感じることが出来ます。館内の日本語案内書あり。
×「悪い所」 入場料が高い。劇は全て英語。
入場料 大人15.50ドル
子供9.50ドル
ファミリー42.00ドル
OPEN
毎日9:30〜17:00
毎週土曜日の12:30と
14:00にケリーストーリーという劇が建物内の奥で開演されます。
Russell Streetの北端に位置します。.

ビクトリア州の州都メルボルンの中心から少し北側に位置した19世紀の歴史ある監獄で、現在観光用に使用されています。近くには世界遺産である王立博覧会ビルもあり、同日に観光できます。

入り口(かつての守衛室)で入場料を支払いパンフレットをもらって(日本語あり)中を自由に見てまわれます。3階建てになった刑務所は、ほとんどの房は開いていて、そのうちの大半の房には色々ディスプレイが有ります。


入り口の様子
例えばそのディスプレイの内容は、拷問の道具だったり、囚人のデスマスクだったり、無実の罪で絞首刑にされた囚人の物語が記されていたり(現在のオーストラリアには死刑はありません)と内容は、充実しています(ただし、これらは全て英語)。

特に見所は、実際に行なわれた絞首刑の執行台が有り、どのように執行されるかというのも理解できます。




◇施設 (左上)3階建ての建物には、独房と共同房が並びます。(右上)ネッドケリーが使用したとされる手製の鎧。下の説明参照してください。(左下)毎週土曜日に2回公演されるネッドケリーの劇。かなりの迫力が有ります。(右下)ツアーで見学可能な刑務所内の様子。

見所
3階は、監獄内での女性や子供などの様子や体験談や大戦中の処刑の役割などが描かれていたりします。2階は、処刑の様子や道具、職員の仕事の様子が分かるようになっています。1階囚人のデスマスクや説明、建物の説明などディスプレイされています。

その中には、オーストラリアではよく知られている罪人であるネッドケリーのデスマスクも有ります。

ネッドケリー(Ned Kelly)とは?
ビクトリア州で、貧しい10人家族の長男としてネッドケリーは育ちました。最初は無実の罪で監獄暮らしを余儀なくされた所から彼の短い人生は方向を変えていきました。

監獄暮らし後は平凡な暮らしを求めましたが、警察からの偏見や圧力により、次第に無法者として警察に追われる羽目になっていきました。その際に警察との銃撃戦などもあり、3人の警官を殺してしまいます。もちろんその後は殺人犯として追われ懸賞金なども付けられるようになりました。

逃げるうちに、銀行強盗なども重ねていきましたが、貧しい者や、女性、子供などの社会的弱者に対しては、非常に紳士だったという事で崇拝する者もいました。

結局その後、ネッドケリーは捕まり25歳の若さで1880年11月11日絞首刑に処せられました。

なぜヒーロー視されるのか?
結局権威、権威という事で権利者たちが一般大衆を押さえつけていた時代に、その権利者たちに立ち向かい、弱い者を助けるという行動が彼をここまで有名にしていったんだと思います。

最初は無実の罪だったという所もキーワードになってきます。さらに彼の絞首刑直前の言葉は「これが、人生さ。」でした。

やはりヒーロー性が感じられます。ちなみに映画かもされました。

歴史
1835年にポートフィリップ(メルボルン周辺の地方)に入植が始まり、治安の乱れがはじまり刑務所も必要になりました。それにより、このメルボルン監獄は入植から6年後の1841年から建設が開始されました。もともとイギリスにある刑務所をモデルとして造られていきました。

もちろん当時刑務所は他にも有り、この刑務所には比較的罪の軽い、刑期の短い囚人が収容されていました。ただ、1951年メルボルンがあるビクトリア州の内陸部で金鉱が発見されゴールドラッシュの時代に移り変わっていきました。

同時に大量の移民者が大量に入植し始め社会は、どんどん変貌していきます。もちろん、人が増えたことによって、犯罪も増え、秩序が乱れ犯罪者の対応に追われました。それにより、刑務所の増設も始まりました。

いよいよ、メルボルン監獄は1864年に全体が完成しました。もともとは非常に大きい建物で、当初はメルボルン位置の大きさでした。ただ1926年敷地は分割され建物のほとんどは取り壊されました。現在、この観光用に利用しているこの建物は、かつての独房棟で、1929年まで実際に使われていた建物で136名が絞首刑に処せられた場所でも有ります。

ちなみに、閉鎖後も第二次世界大戦中には、捕虜収容所としても利用された事も有りました。現在は、この独房等以外の元の刑務所だった土地は、RMIT大学の敷地として利用されています。

19世紀の監獄生活
完全に隔離された生活を余儀なくされました。これは、刑罰の一環でも有り、もちろん強制の1つでも有りました。

独房内には必要最低限のものしかなく、1日23時間閉じ込められ着替えや入浴は週に一回だけ許可されました。意思疎通が禁じられ、独房から外に出る際には、頭に布をかぶせられ顔を隠し、もちろん話す事も許されませんでした。破るような事があれば、むち打ちなどの厳しい体罰が待っていました。

メルボルン滞在中、歩いていく事も出来ますので、時間がある方はぜひご覧ください。例えば近くには世界遺産の王立博覧会ビルなども有りますので、セットとしてもいいかと思います。


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